寝屋川の家族葬会場の隣で生まれた私は、16歳の時にアメリカのサウスダコタ州の高校に一年間留学しました。人口200人という小さな町でしたが、他に100人に満たない町もある中、その町は隣に少し大きめな町(空港があるくらい)があって買い物などそれほど不自由しない環境でした。当時の自分には将来、歯医者のデザインを仕事にすることなど想像もつかなかったと思います。
ですが、それは車の運転が出来る人の場合で、当時の私のように免許も無ければ車も無い状況では大変な不便を強いられました。まず自宅から学校まではホストファミリーの妹が運転する車の往復です。放課後も妹の部活動が終わるまで待つか、長時間かけて遠回りするスクールバスに乗るかしないと家に帰ることが出来ませんでした。
一度試しに歩いてみたのですが、車で10分もかからないはずの学校から自宅まで2時間以上かかりました。実は田舎で景色が単調のため、毎日時速100キロ以上で飛ばしている車に乗っていることに気付いていなかったのです。もちろん、買い物に行きたくても自分の行きたい時に自由に行くことは出来ません。
バスや電車などは全くありませんので、ホストファミリーか友達に乗せてもらって行くしかできないのです。私には出来ませんでしたが、もし地元に彼氏でもいれば毎日車で連れ出してもらったりして自由があったのになぁと思います。日本では都会暮らしで公共の交通機関やタクシーがあるのが当たり前でした。
アメリカは自由の国ですが、本当に不自由さを感じた一年でした。アメリカ留学を考えている方は、全くのド田舎でカルチャーショックの中引きこもらなくても良いように(それを望まれる方は別として)行き先の環境をよく下調べした上でNYなどの大都市への留学などを決断されることをお勧めいたします。